自分の衝動に準じて、好き勝手にいきたい。
と常々想ってはいるものの、大人になると色々な事情やらで
その想いに蓋をする。
でもきっと、ごちゃごちゃを省いて、
赴くままに好き勝手に生きることができれば上手く回り出すとは想っている。
もう少し大人になりなさいと、世話人のごとき立ち振る舞いで、
他者を抑制することは非生産的。
人はそれぞれ、存在設定が違う。
善悪の基準も、価値観も、似てはいても同じはない。
違和感は排除するではなく、広がりのきっかけとして受け入れる柔軟さを養いたい。
僕は僕の設定で存在したいし、変化したい。
それを突き通せば、離れる縁もあるだろうが、きっと悪いことじゃない。
大人の責任ってなんだろうか?
わからないわけでもないけど、自己犠牲を強いられたくはない。
自己犠牲が伴う大人の責任は、上手くないと思う。
ふと、なんとなく湧き上がった想いを文章にしたいという衝動があったので、
久しぶりにブログに残します。
そういえば最近は、頭の中で湧き上がる想いに、
あーだこーだと忙しく模索することが減ったことに気づきました。
日々、自分なりの変化があって楽しいです。
大人という曖昧なカテゴリー
大人っぽい子ども
子どもっぽい大人